April 2011
April 30, 2011
わかることとわからんこと
三日間の休みを頂戴し(といっても祝日と土日をあわせた三日間ですが)宮城と岩手に来た理由は長引くことが予想される避難所の生活環境の改善計画のためですが、それはまた報告できるときがきたらするとして、その道中に見たことと聞いたことと感じたことを忘れないように書いておきます。注意を払うつもりですがもし不適切であれば許してください。
早くから現地入りされてる被災地NGO協働センターのリーダーの方のプランで岩手県の大槌町へ。避難所となってる小学校での調査を終えて校門を出たところに線路がありました。三人の男性が見つめる先は警察による行方不明者の捜索かその向こうに広がる町の姿かわかりません。
数百メートル離れたところでこの線路は途切れているので電車はきません。わかるのはそういう事実だけです。
April 29, 2011
違いすぎる景色
仙台東部有料道路の下をくぐったら突然世界がかわり、目に飛びこんだのは船でした。今日のうちに岩手県の花巻までいく予定なので北上するつもりが間違って南へ。名取市の細い道を迷ってる最中でした。高く土を盛ってる有料道路が津波をそこで堰き止めていました。
今回の地震は家屋などに大きく影響を与ええる周期1〜2秒の地震波が強くなかったため、津波の有無で被害の状況が大きく違うと専門家は分析していました。一本の道で切り分けた景色はまるで違うものになっていました。
多くの人は自分が暮らす場所を自ら選んでいるようで選んでいません。様々な理由が絡んで与えられた場所に暮らしています。そう思うとこの違いはあまりにも残酷です。
歩きだすために
あの日の5日前。3月6日に卒業設計日本一決定戦がここで行われていました。建築学科生の聖地であるせんだいメディアテークは外からみたところ無傷。でも特に上階の内部に被害があり、現在は閉館中。玄関の外では図書館の職員さんが返却などを受けていました。
東北へ向かう新幹線の乗客も、仙台駅ですれ違う人たちも、市街地の建物も、一見すればいつもと同じで、地震のあとを感じさせるものは「がんばろう東北」という大きな文字と、駅の構内に設置されたボランティアセンターに列をつくる若い人たちの姿と、マンションの壁を観察すればわかるひび割れなど。意識しなければ普通の日常です。
でも新幹線で隣に座る男性の鞄からヘルメットが見えていたりするから、みんな何かを思ってこの車両に乗ってるし、いつものように服を買ったりパスタ屋さんに並んだりする仙台の人たちも大事な人を失ったりした悲しみを堪えてるんやろな…と。
メディアテークの中と外はまるで人の気持ちを映すように静かにそこにありました。5月3日から「歩きだすために」というイベントを皮切りに再開するそうです。