March 14, 2011

日本人において

16年前の阪神淡路大震災があって一週間後、僕は神戸の東灘区にいました。身動きができない市の職員にかわり、避難所となってる公共の建物や幼稚園などの被災を調査していました。そこでは多くの労いも受けましたが、罵声もあびました。

調査なら帰れ!
そんな暇があれば電気をとおせ!

若かったので感情をコントロールできず、涙がでました。自分にできることはこんなもんなんかと。役に立ちたいという衝動だけではなにもできないんやろかと。

怒鳴られたあとしばらく歩いて、どうしても気なったので僕はもう一度さっき調査した御影公会堂へ戻りたいと言いました。怒鳴ったおじさんの真上に大きな誘導灯がコード一本でぶら下がっていたからです。

あの地震のあと、被災建築物応急危険度判定士という資格が各県で制度化されました。今回の地震の翌日、要請がありました。いつ行くのか何処へ行くのかわからんけど、次の連絡があれば行くことになってます。

今度は力になれるんやろか。いや、なりたいよね。絶対ならなあかんよね。

binskas at 23:34│Comments(2)TrackBack(0)clip!ムネノウチ 

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この記事へのコメント

1. Posted by かっちゃん♪   March 16, 2011 01:40
阪神淡路大震災経験者として、
他の人より役に立てることがきっとあると思います。

日本の未来のため、お仕事がんばってきてください。
2. Posted by 木村 敏   March 20, 2011 00:35
こんにちはかっちゃん。
ちょっと大げさなタイトルでした。
出番がきたら行ってきます。
余震とかの二次災害を防ぐのが目的なんで早くいかんとあかんのやけど。

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